SSブログ

杉原千畝「命のビザ」に感謝の記念プレート【リトアニア】世界貢献のありかた [ニュース(国際)]

第2次世界大戦中のリトアニアで、ドイツの迫害から逃れてきた約6,000人のユダヤ人にビザを発給して命を救った外交官・杉原千畝(1900~1986)を顕彰する記念プレートが、ゆかりの地カウナスに設置され、4日に除幕式が行われました。

Sugihara.jpg

1940年7月に、ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ系難民などが、各国の領事館・大使館からビザを取得しようとしていました。当時、リトアニアはソ連軍に占領され、各国の在リトアニア領事館・大使館は閉鎖されており、まだ業務を続けていた日本に人々は集中したわけです。
駐リトアニア副領事だった杉原千畝は、ナチスによるユダヤ人迫害の惨状を熟知しており、日本を経由しての第三国行きのビザ発給について日本に許可を取ろうとしましたが、日本側は「旅費及び本邦滞在費等の携帯金を有する者にのみに査証を発給せよ」という発給条件を厳守するようにの指示があり、ビザの発給ができないという状況が続きました。しかし、目の前の人々を見て、苦悩の末、独断で受給要件を満たしていない者に対しても通過査証を発給しました。1940年8月に杉原がかの地を離れる瞬間まで発給された2,193通のビザは「命のビザ」として、ユダヤ人たちの未来をつなげていくことになったのです。

当時、ユダヤ難民たちのリーダー格でビザ発給に尽力したゾラフ・バルハフティク氏は、1969年にはイスラエルの宗教大臣となっていました。そして、杉原が失職覚悟でのビザ発給を知り、こう語っています。

***********
実際には、日本政府の許可なしであったことを私たちが知ったのは、1969年に杉原氏とイスラエルで再会した時である。杉原氏が訓命に背いてまで、ビザを出し続けてくれたなんてことは、再会するまで考えられなかったので、とても驚いたことを覚えている。杉原氏の免官は疑問である。日本政府がすばらしい方に対して何もしていないことに疑問を感じる。賞を出していないのはおかしい。表彰していないのは残念である。杉原氏を支持している方は多くいるが、私は20年前から、日本政府は正式な形で杉原氏の名誉を回復すべきだといっている。しかし日本政府は何もしていない。大変残念なことである。
(1998年5月25日のエルサレム郊外でのインタビュー)
***********

プレートは75周年の節目に合わせ、市民らの協力で、領事館閉鎖後の1940年8~9月に杉原が滞在して発給を続けた「メトロポリス・ホテル」と、列車でカウナスを後にした同駅の2ヶ所に掲げられ、杉原の顔とともに、「出発直前まで『命のビザ』を発給し続けた」などとリトアニア語、日本語、英語で刻まれています。


杉原千畝は、当時の情勢ということもあるでしょうが、近年まで、評価されませんでした。彼のような行動がすべてではないとは思いますが、世界貢献の在り方・・・世界だけでなくてもよいのです、社会に対すす「貢献」の在り方について、考えさせられます。







nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。